「蜘蛛の糸」我利我利の精神では幸せになれない【あらすじ・感想】

「蜘蛛の糸」がどのような作品なのか、読者によるあらすじと感想です。


出典:https://www.amazon.co.jp

「蜘蛛の糸」を読んだきっかけ

小学校の教科書に芥川龍之介が記載されていたの小学校の教科書に芥川龍之介が記載されていたので作品集のひとつとしてその中にあった作品です。

芥川龍之介は短編小説が多いので作品集の中から選んで読み直してみることにしました。で作品集のひとつとしてその中にあった作品です。芥川龍之介は短編小説が多いので作品集の中から選んで読み直してみることにしました。

どんな小説?

仏教の精神ではこのような「自分さえよければ」という姿勢を「我利我利」と呼び、非常に嫌われることを教訓として描いています。

仏教用語で「我利我利」という言葉があり、この精神では「本当の幸せにはなれない」ということをこの小説で芥川龍之介は作品として表現していると思います。

あらすじ

ある日のこと、お釈迦様が極楽の蓮池の周りを散歩していた。ふと池の中を見てみた。その澄み切った池の中には、地獄で苦しむ多くの亡者達の姿を見てしまった。

その中池の中には、お釈迦様が知っていた「カンダタ」という男がいた。「カンダタ」は生前は大泥棒として悪事の限りを尽くした悪人だった。

お釈迦様は、この大悪人「カンダタ」だったが、たった一つだけ良いことをしたと思い出した。「カンダタ」という極悪人であるこの男もある時、「蜘蛛の命」を奪わずに助けたことがあった。何とかこの悪人である「カンダタ」を救い出そうとお釈迦様は、極楽の中に「蜘蛛の糸」を蓮池から下ろした。お釈迦様が見た血の池地獄で溺れ苦しむ「カンダタ」がいた。

「カンダタ」は自分の目の前に銀色の細い糸が垂れてきたことに気ずいた。「カンダタ」は心の中で「これさえあれば助かる。地獄から抜け出せるかもしれん」そう考えた。「カンダタ」は極楽目指して、この糸をつかんで登っていった。

遥か上まで登り、「カンダタ」が一息をついていると多くの地獄の亡者達がこぞって細い糸を上って来ていた。「カンダタ」は焦りに焦り、この糸を振ってなんとかこれらの亡者を振り落とそうと試みた。

なおも登って来る多くの罪人たちに「この糸はこれは俺のものだ」と叫んだ。その時にプツリと音を立てて「蜘蛛の糸」は切れてしまった。

「カンダタ」はくるくると回りながら、真っ逆さまに血の池地獄に落ちていった。この一部始終を見ていたお釈迦様は、悲しそうな顔をして再び極楽をぶらぶらと歩いていくのであった。

残念ながら「カンダタ」は真っ逆さまに血の池地獄に落ちていった。 この一部始終を見ていたお釈迦様は悲しそうな顔をして再び極楽をぶらぶらと歩いていくのでした。

読んだ感想

現在の社会では、例えば、飛べない鳥を保護する一方で平気で鶏肉を食べているのが私たちです。よく考えると矛盾しているのですが、生きていくためにどうしても「殺生」するという罪を作ってしまうのが私たちの本質だと思います。

さてこのように例えば、飛べない鳥を保護する一方で平気で鶏肉を食べているのが私たちです。よく考えると矛盾しているのですが、生きていくためにどうしても罪を作ってしまうのが私たちの本質だと思います。

このように蜘蛛を救った「カンダタ」は、蜘蛛との間に「縁」ができました。仏教では「縁」を非常に重視しており、「縁がなければ助けられない」とまで言われます。蜘蛛を救った「カンダタ」は、蜘蛛との間に「縁」ができました。

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