「論語物語」がどのような作品なのか、読者によるあらすじと感想です。
「論語物語」を読んだきっかけ
息子が通っていた論語の教育に特化した高校の授業で使われた教材を何気なく読んでみました。最近は渋沢栄一が世間でかなり話題になっていますが、彼が『論語』に特別な思いを寄せていたことも、下村湖畔の『論語物語』を読むみっかけです。
どんな小説?
中学や高校の漢文の授業でも扱われてきた論語ですが、これはどうしても堅苦しいイメージが付きまとっていました。
しかし、下村湖畔の『論語物語』ではこれを誰もが読みやすく短い物語にした作品になっています。それぞれの物語は短時間で読むことができ、その上で論語の神髄に触れることができるのです。
もう80年以上読み継がれてきた作品ですから、その中には人に何かしらの感動を与えてくれるものがあるのだと思います。とかく教育が云々されるこの現代社会にあっては、誰もが一読すればきっと座右の書となることでしょう。
あらすじ
名作『次郎物語』の著者として知られる下村湖畔の『論語物語』は、原書の中の世界を実に生き生きと書き表してします。
難解だった『論語』の教えを誰もが分るように工夫して文章化しているのです。さまざまな苦難に直面してきた孔子が弟子たちに噛んで含めるように苦悩や取るべき道を教え諭すところを忠実に、しかも分かりやすく書かれています。
どちらかと言えばショートショートのような感覚で読み進めることができるのではないでしょうか。 原書である『論語』には多くの話が収録されて完成していますから、当然のことですが下村湖畔の『論語物語』もそうしいた構成になっています。
それぞれの話は孔子の弟子の身に起こる問題に対しての問答です。どれも心を動かされるストーリーに仕上がっています。自分の感想としてこの中で一番感動したものが『伯牛疾あり』のエピソードです。
孔子の弟子である伯牛は癩病にかかっていて、日に日に病状は悪化する一方で回復の兆しが見られなかった。顔も手もかさかさになり、むくみを帯びて紫がかった肉が皮膚の下から今にも崩れ落ちそうになっている。見るも無残な姿でした。
この病気は現代で言うところのハンセン病です。 回りの人たちは伯牛に近寄ろうともしません。
しかし、孔子だけは見舞いに来るのですが、伯牛の心の中では嫌々自分のところへ来るのではないだろうか、と勘繰ってしまうのです。鬱々としていた伯牛に対して孔子はただれた伯牛の手を強く握ります。
そして、「お前の病気は天命じゃ。天命は天命のままに受け取って、しずかに忍従するところに道がある」と言い放ったのでした。 その意味は、つまり病は自分たちが求める道に到達するための尊い苦難だというのです。孔子の教えを耳にして、伯牛はようやく心が安らぐのでした。
読んだ感想
言うまでもなく『論語』は孔子の教えをまとめた経典であると言えます。当然のことながら原書は漢文です。学生時代に漢文が苦手だったという人はどうしても読むことを敬遠してしまうのではないでしょうか。
実際、かなり難解であることは間違いありません。しかし、下村湖畔の『論語物語』ではこれらの問題を一挙に解決させているのです。
実際、自分も学生時代は漢文が苦手でしたし、『論語』といういかめしい書物などに何の興味も感じていませんでした。
しかし、この下村湖畔の『論語物語』を読んで『論語』に対する考えが一変したのです。一番に思ったことは孔子という人の生き方、そして弟子とのふれあいを通して、真の人間の姿というものを改めて考えさせられたということで、これは人の人生の中で必要なものだと思いました。
ちょっと大げさに言ってしまえば、人生を考える書、とも言えるものです。
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